キレイな言葉が、見当たらない

殴り合うときは拳じゃなくて、言葉で

ヴィントン・サーフやロバート・カーンの人柄は、よくわかってない

もう1月終わりますね

体感的にはもう11月なので

来年の話をしたいです(は?)

 

インターネットが日本に

定着してきた時期に思春期を過ごし
インターネットと共に社会人になり
もはやインターネットは

わたしの武器であり相棒で
そんなインターネットの世界での

コミュニケーションって
リアル以上に難しくもあり、

短絡的でもあり、おかしなものでもあり

とりあえず、イラっとすることもあったけど日々心にとめていることを

文字起こしして残しておこうと思い
お昼休みにからあげ定食を食べながら

この文を打っています


SNSが発達してきて

みんな言いたいことを

好きにいう場所ができて
いいこともあれば、

その反面悪いこともあって
悪いことがあったときに
「これは言論の自由だ」

表現の自由だ」と叫ぶ輩がいる

わたしはこの

「言論の“自由”」「表現の“自由”」は
夜のお仕事における
「完全自由出勤制」の“自由”
と同じ解釈だと受け取っている

話はそれてしまうけれど
まず、夜のお仕事における
「完全自由出勤制」ってのを説明をすると

キャバクラとか風俗とかホストとかって
お店と雇用契約を結ぶって形ではなく
お店と個人事業主
「じゃあ力を合わせて一緒に商売しましょ!」
ってので業務委託という形で
お店はお仕事とそれに対する

報酬(お金)を渡すし、
個人事業主(嬢とか担当って呼ばれる人達ね)は
労働力と時間をお店に渡す

っていう仕組みでして

雇用契約を結ぶ形であれば
「週5日は出勤ね」
「土日はお休みで週2~3日はマスト」
といった出勤に関してお店側から

指定をされるのですが、
業務委託というところで
出勤に関する指示はお店側からは
「週〇日は出勤してね」とか「〇日はマストね」
という指定はされないのです
「わたしはこのシフトで出勤しますね」と、自由に働く日を決めていいってことであって

だけど、ここでいう「自由」は
「働く日を自由に選択できる」ということであり
「出勤予定日でも自由に休んでいい」
というものではないのが前提条件ね(ここほんとに大事)

つまり「わたし、再来週まるごと休むけど、今週は週5で働きます!」
と決めた「自由」を権利として主張したことに対しては、
それを遂行する義務がある(今週は週5出勤するのは義務)

言論の自由」や「表現の自由」も
「自由」を権利として主張したことに対しては
それを遂行する義務があると思っている

なにが「遂行」なのか「権利」なのかってのは「わたしはこの言葉や表現、作品を世に放つ!」
という「自由」を権利とした主張に対して
その「言葉」や「表現」「作品」に対する責任を負う義務が
発生しているというのを忘れないでほしい

「1億人総メディア時代」と呼ばれる今だからこそ
「権利」ばかりを声高に主張するのではなく
「義務」を果たしている人にスポットライトを当ててほしい

よくわたしは「素人は黙ってろ」や「外野は黙ってろ」という
それはこの「権利」ばかりを主張する人に対するものであり
主語を大きく強い語気にしているのは
「お前に言ってるんだからな。他人事だと思ってんなよ?」と
不特定多数の誰かと、
自分自身の喉元に刃物を突き付けているぞという
意思表示なのです

誰かを攻撃しているように見せていても
その中の誰かに「自分」ももれなく含まれている
「勘違いするなよ。お前は例外じゃない」と自分が自分に言っている
だからこそ、一瞬で被害者になる言葉を使う人は信用していない


『最高の教師』というドラマで
「関係のない人が憶測で言葉を投げかけるのはやめて」というセリフが
今の世の中には必要で届けたい言葉である

とりあえず、なにが言いたいかというと
「インターネットは扱い方ひとつで銃にも花束にもなる」ってこと

でもって、SNSやっているなら
「誰かに許されたい」とか「誰かに認めてもらいたい」とか
「誰かに受け取ってもらいたい」とか「誰かに理解してもらいたい」とか
そういう他人任せの幸福感は捨てたほうがいいと思う

ちょっと過激な表現だけれども
SNSは所詮、公で自慰行為をしてるのと同じなんだからさ

それが理解できなきゃやめちまいな!
あんた、SNSやるセンスないよ!
ってな


言論の自由」をめぐる問題提起は時代が流れても、
文明が発達しても必ず起こると考えている

なぜかというと、コミュニケーションには人間が関わっていて
お互いの違う形の正義を無理やり
形が違うのにパズルのように組み合わせようとしているから

だから戦争はなくならないし、
情報開示請求とかのシステムが生まれている
時代が変わればその時代にあった
言論の自由」への立ち向かい方が生まれてくる


わたしの正義感なんてお金にもならないし、なんの武器にもならない

だからこそ、「自分は特別」「自分は何者かになっている」
という錯覚が起きない
「自分なんてそんな価値はない」と常に心に暗い影を落としている

暗い影は地に足を付けるための大切な存在だけど
影が大きくなってつぶれそうになるときに
「そんなことないよ、ちゃんと価値はある」と
思い出させてくれる作品がこの漫画だったから
特にいろいろと深く考えてしまう

昨日はそんな夜を過ごしたので
今日はびっくりするほどゆっくり仕事をしている
午後もゆっくり仕事をする予定

 

ごちそうさまでした

あーおなかいっぱい

嫌いな言葉ばかり口にする人が苦手だ

新年あけましておめでとうございます

新しい1年の始まりだというのになんとも縁起の悪いタイトル
後厄ということで大目に見ていただきたいで候

さて、タイトルにした「嫌いな言葉」なんですがね
客観的に見たからすごくポジティブで良い言葉なんですけど
その言葉が苦手というか、それを口にする人が苦手なんですよ
という結論を念頭にここから先は読み進めていただきたい

まずは1つ目
「神様は見ている」

信仰心に関しては別にいいのよ、関係ないのよ
この言葉を発する人って、わたしの中ですんごく引っかかる人が多くてね
「世界の中心は、そう、このわたし!」っていうTHEヒロイン体質なんだけど
「そんなこと思ってないよ。わたしは脇役人生だから」って
思ってないことを口にできる人で(超ド偏見)

自分以外の人を称える場面であっても
急にその人にスポットライト当たっちゃうみたいになっちゃうのが無理すぎましてね

だから「ここまで頑張ってきてよかった。神様は見ているんだな」
っていう言葉が怖い

続いて2つ目
「努力は報われる」

これも同じくですね
自分以外の人を称える場面であっても
急にこの言葉を発した人にスポットライト当たっちゃって
見るべき本来の姿が見えなくなってしまうっていうのが苦手

あとね、報われない努力を知っているから
「努力は必ず報われる」という言葉を信じられてないんですよ、わたし

報われる保証はないけど、努力しとけば将来おつりがもらえるかも
ぐらいの言葉で甘やかしてほしい

勢いがついてきたので3つ目にいきましょう
「見ている人は必ずいる」
「見ている人は見ている」

これもね、「努力は必ず報われる」と同じで
「みんなが嫌がることを率先して行っても、見ている人は誰もいなかった」
という経験をしてしまっているから信じられてないんです

「お、お前やってくれんの!ラッキー!じゃぁ頼むわ~」
「あ、これもみんなやりたくないって言ってるんだけどやって~」
っていう貧乏くじポジションでしか生きてきてない側なので
「なにが見ている人だよ。都合のいいことばっか言うなよ。1ミリも報われてねーよ」
と日本酒を1升飲み干したくなるお気持ちになります

他人の視線を気にするのではなく、
わたしはわたしが見ているから自分の中にあるルールに反することはしない
ってスタンスを大事にするようにしています

てか、お前何様?
って感じる言葉がほんと苦手なんだなぁと

あまり書きすぎると2024年の運気が下がりそうなので次で最後にします
ラスト4つ目
「夢は叶う」

ひとつ言わせていただきたい
叶わない夢も、ある

10代とか20代前半の子がこの言葉を発するのは
「いや~いいね~頑張ったんだね~」と国民的叔母思考爆発で
微笑ましい案件なんですが
20代後半だったりそれ以上の年齢の人がこれを言っていると
「は?なに言ってるの?夢は叶うっていうか、それってあなたの人生の結果ですよね?え?」
って心の中のひろゆきが黙っていられなくなってしまってまして

夢は叶う。
でも、ある程度の年齢や経験値に達しているのであれば
それは「夢が叶った」なんて他人事みたいな表現じゃなくて
「これまでやってきたことの結果が出た」ともっと真摯に受け止めてほしいのよ

中年にロマンチックさとか泥臭さとかいらんのよ
お前がこれまで積み上げてきたものに自信をもって胸を張れよと言いたくなる

まぁここまで苦手なことを吐き出したので
2024年はなんだか健やかに生きていけそう!やったね!

ということで本年もよろしくお願いします

足早に立ち去った12月

いつもお世話になっております。
カレンダーを見たら

2023年も片手で足りる日数しかなくて
驚きが隠せません

この時期はあらゆるメディアで
「今年の振り返り」をしているのですが
わたし自身の2023年は
なんだかんだずーっと

モノクロだったなぁという感想です

 

薄っすらずっと体調が悪いまま今日になっているような感じです

春に原因不明の体調不良というか顔面不良があり大型連休は一歩も外に出られず
夏は熱中症と脱水症状を繰り返して人ごみを避けるように生活をし
秋は会社の上司からのパワハラで心を閉ざし
冬はなんでか膝が痛い(今も痛い)
という1年でございました

仕事はあるけれど、いつどこで「もう用無いからいらないよ」と
切られてしまうのではないかという不安をずっと抱えてて
ここ3年ぐらいは「ここで自分の力を活かしていきたいです」
と意気込んでいても先方から「お前、いらない」と言われることが続き
頑張り方が間違っているのか、わたしが頑張ることが間違っているのか
右も左も上下前後、全部わからなくなるような時間でして

だから今も、常に不安があって
「ここで切られたら後がない。この先どうやって生きたらいいのだろうか」
という気持ちを抱えています

仕事仕事としているけれど、それは捨てられないための悪あがきであって
2024年はそんな考えをしなくていいぐらい
自分を大切にしたいなって思います

長くなりましたが、2023年も大変お世話になりました
暖冬とは言われていますが朝晩はこの季節らしく冷え込む日が続きますので
どうぞ暖かくしお身体ご自愛ください
良いお年をお迎えください

ぼんやりと「なんとなく」を供養したい日

ぼんやりと1日経って

まだ実感がわかないというのが本音

 

ネットニュースは目にするけども

現実味がないわけで。

 

ちょっとだけ、ここでモヤモヤを供養したい

 

なんとなくなんだけど、妄キャリの解散ってなんだかいろいろ衝撃的だったなぁって今になって思い知っている
エンゲちゃんは時代の流れ的なものもあったりしたなかでの解散で
全員が「トゥルーエンド」を体現する形で終えていて
アイドルってこういうものなんだなって感慨深くもなったりした

個人的な考えだけれども、アイドルって
「できなかった青春を見させてくれる人」だと思っていて
全力で汗を流すことも、仲間と一緒に切磋琢磨して成長することも
恥ずかしながらやってこれなかった人生だから
彼女たちの姿に、できなかった青春を重ねているんだと思う

だからエモいって感情になりやすくなる

できなかったことを疑似体験させてくれる
終わらない青春を求めて、今日も誰かが誰かを応援している

過去にあやや
「みなさんの人生まで責任は持てません。わたしが将来結婚するとき、みなさんも幸せになってください」ってメッセージを残していて
アイドルとファンの距離感ってこんな感じがいいと思ってしまうんだよね

昨今の推し文化なんてのもあったりなんだりしてさ
アイドルにはアイドルの人生
わたしにはわたしの人生
今は交わっているようにみえるけど、
重なり合っているわけじゃないし、結ばれてもいない

人生における通過点を同じ時間に走り切っただけ

だから、自分の人生を生きられない人が
オタ活やら推し活と称して他人の人生に土足で踏み込むことに拒否反応しかないのだよ

できなかった青春を見させてくれる人達は
やっぱり偶像だし、手が届かないぐらいがちょうどいい

重なる悲しいに思い耽る、秋の夜長。

どうも、こんばんは。わたしです。

 

ここ数日、悲しいお別れに触れることが多くて

今、中島みゆきさんの「命の別名」を聴きながら

キーボードを叩いております。

 

少しだけ宗教めいた話をします。

「天寿を全うする」という言葉は

自然死することに対して使われるものだけれど

すべての命は終わるものだから

全ての死は「自然」なことだよね

という話を昔したことがあって

 

ここでわたしの初めてのお別れ話を少しだけ

 

これはわたしの中で

「友達と遊んだ」というカテゴリで

一番古い記憶かもしれない

幼稚園で一番お姫様みたいな女の子と遊んだ

 

色が白くて、目が大きくて

本当にお姫様みたいな女の子

 

おうちも広くて大きくて

わたしがサンタさんに「欲しいです。お願いします」と手紙を書いても

届けてくれなかったオモチャが

わんさかあって(羨ましかったなー)

白いワンピースがよく似合う子だった

 

そんなお姫様みたいな子が

なんでわたしなんかと仲良くしてくれたのか

おうちに招いてまで「遊びたい」と思ってくれたのか

それはもう聞くことができないけれど

そして、ママ友だとかそういった類の付き合いを

全くしてこなかった母が

なぜ彼女のおうちに遊びに行くことを許したのか

もしかしたら彼女がもう長くないことを

知っていたのかもしれない

 

幼稚園を卒園して、学区の都合で彼女とは別々の小学校に入り

卒業し、中学で再び再会…

という流れではあったものの

再び顔を見たのは彼女のお葬式でした

 

入学式から1度も登校することなく

制服に袖を通さぬまま旅立ってしまったわけで

 

中学1年のこの時が

初めての「お別れ」

 

この「お別れ」に対して

「たまに彼女を思い出すことがある。

 彼女は子供を産んでいて

 白いワンピースを着て

 男の子を抱っこして笑ってる」

という映像がぼんやりと頭に浮かぶときがあって

 

その話を大学の先輩のお坊さんに話したことがあって

ベロっベロに酔っ払っていたんだけども

「あのね、寿命っていうのは

 生まれた時から決まっていてね」

という入り口から始まって

「人には生きる意味があるからさ、

 その意味を生きている間に成し遂げる人もいれば

 亡くなることで意味を与える人もいる

 だから『早い』だとか『遅い』だとかはない

 その時がくるまで生き続けるしかできないんだよ」

って言われて

まぁ、こっちはベロっベロに酔っ払っていたので

その時どんな風に返事をしたかは覚えてない(おい)

 

だけど腑に落ちたのは

「命には期限が決まっていて

 その時がくるまで生き続けるしかない」

って言葉

 

希死念慮強め派としては、

この言葉がすごく心に残っていて

悲しいお別れの報せが届くたび

「このお別れはどんな意味があるのかな」

って考えるようになっています

 

「早い」「遅い」ではない

だから、残してくれた思いをしっかり噛み締めて

しっかり悲しむ

 

これに尽きると思っています

 

兎にも角にも悲しい

 

以上。

人は良質なモノを前にした時に語彙力を失う

改めましてこんばんは。どうも、わたしです。

 

さて、本日10月4日は我らが監督の新曲リリースの日!!!!

ずっとずっとずっとこの日を待っていたんだよ!!!!(在宅マリナーズの叫び)

 

と、いうことで河野万里奈さんの「ドラフト」の感想を綴りたいと思います。

(なので制作にまつわるエピソードやブログは極力目に入れないようにしてまして)

 

youtu.be

監督の歌なので、軸はやっぱり「野球」になるんだけれども

個人的には「生きている全人類へのエール」だと思って受け取っています(思い愛)

 

「この歌詞のここが好き」

「この意味がとてもいい」

だとか、なんかエモくてかっこいいこと書きたいなぁ

って思ったりしたんですけどね

 

何度聴いても

「いい歌だ」

「背中を押させる」

「元気になる」

「わたしもハズレをアタリにする人生にしよう」

といった月並み程度の言葉しか出てこない

 

銀座のお高い和食屋さんで出会った土鍋で炊いた白米を食べた時

目の前で握る回らないお寿司屋さんで中トロを食べた時

松阪牛のステーキを食べた時

「うまい」「美味しい」

しか言えなくなるのと同じ現象であると同時に

久しぶりに実家の朝ごはんを食べた時のような

「安心感」と「目に見えないエール」を受け取っていて

 

人は良質なモノを前にした時、語彙力を失うんだなと

丸っと1日狂ったように「ドラフト」を聴き続けた感想です。

 

監督は常々、「伝えたいことは音楽にする」ということを発していて

本当にその形でわたし達マリナーズに音楽と共に想いを伝えてくれる

 

真っ直ぐに野球に直結させて受け止めるも良し

「選択」は生きている上で避けては通れないものだから

「人生」として受け止めるも良し

その時々で受け止め方を変えてしまうのも良し

 

監督が伝えたいと命を注いだ音楽から

感じるものがあればそれはそれで正解だと思うわけです

 

「音楽の力」とかそういう言葉がわたしは嫌いだ

 

でも、監督の歌には力がある

 

それは紛れもなく「河野万里奈の表現力」だと思う

 

伝えたいことを、音楽というメディアに乗せて届けてくれている

でもって監督の音楽に、わたしはまた背中を押されている

 

エモいことなんてなにひとつも思い浮かばない

 

答えは今じゃない

いつかわかるさ

 

とりあえず明日も「ドラフト」に起き、「ドラフト」に眠る

 

やっぱ、生きてみるもんだな。人生

マスクの下で過呼吸になった「神田伯山のANN」

どうも。ご無沙汰しております。

約2年ぶりにこのブログを書いています。

 

どうしても、このラジオのことは書き残しておきたくて!!!

 

仕事をするときは、radikoのタイムフリー機能で

深夜ラジオを聴いていたりします

 

今週はいつも聴いているラジオがスペシャルウィークのため放送がなく

その代わりに放送された講談師の神田伯山さんのオールナイトニッポンを聴きまして

(ここでわたしが久保史緒里ちゃんのラジオを聴いていることが明らかになりまして)

 

平日も折り返し

集中力も失われがちの木曜日

 

そんな日に聴くもんじゃなかった

 

これが一番の感想です(短)

 

のっけから「四十路の知らないおじさん」の声を乃木坂ファンに聞かせ、

古賀稔彦を例えに語る赤坂と有楽町の歴史、

オールナイトニッポンの象徴であるBittersweet Sambaを終わらせる

脱税による逮捕直前に行われた「石井館長オールナイトニッポンR」、

生島ヒロシはどこにでも入ってくるのと同じように

赤坂なのか有楽町なのかわからなくなるパラレルワールドへの誘い

 

開始30分足らずでおしゃれ感覚で深夜ラジオを聴く20代30代リスナーが離脱するペース

 

キティちゃんのとハァハァ二人会

夢の海で出会った福永法源

そして謎の菊池さん

 

なにかコーナーをやったわけでもなく

伯山さんの軽快なおしゃべりと

笑い屋の甲高い笑い声

そして本物か偽物かわからない著名人からのメールと

シンプルに「笑い声がうるさい。カフ下げろ」という笑い屋へのクレームで

気づいたら2時間が過ぎ去っていた

 

やはり業の深さに共感できないのは

井上アナ後の放送だったからかな

 

赤坂再建にはありこんさん再登板が肝という学びはあったものの

赤坂の聴衆層とはまったく異なる20代30代リスナーには伝わらない

令和のANN史上最もぺんぺん草が1本も生えないラジオだった

 

これこそがわたしの好きなオールナイトニッポン

深夜ラジオの姿だと思った令和5年の秋

 

21日まで聴けるのでお時間ある方はぜひ・・

radiko.jp