キレイな言葉が、見当たらない

殴り合うときは拳じゃなくて、言葉で

わたしはいつまで「夢」を、語るのか。

みんな、元気?

関東は急に真夏になって熱中症が突然隣にやってきた陽気だったね!

元気?

ぽてちさんはそこそこ元気だよ。

 

さてさて、メッセージ交換ができるマルシェのお話しをしたいなぁと。

 

DS界隈のみなさまには馴染みのあるマルシェ。

今回わたしは推しの監督のマルシェを購入しまして。

 

「わ! このお写真素敵!」

と思った写真の番号が

ミスターフロンターレの背番号こと「14」だったことに

運命を感じキュルキュルンとなったわけでございまして。

 

マルシェってのは

あれこれと伝えたいことを記しまして

そのお返事が直筆で届けられるので

まぁまぁ感動するギフトなんですよ。

デジタルデータ万歳。文明の力最高。

 

あ、わたしの今年の占いでちょいちょい出てきたのが

「ギフト」ってワードだったので

それにも運命を感じキュルキュルンってなってました。

 

この1年、手放したものもあれば

前に進み始めたこともあり、

3歩進んで2歩下がるみたいな時間を過ごしていまして。

 

ふと、立ち止まったときに

「34を迎える中で、わたしはいつまで“夢”を語るのだろうか」

と不安になります。

誰に言うわけでもなく、ただただ

「40になっても“夢”とか言ってるのかな」

とか漠然とした暗闇的なものに

わたしの頭からつま先まですっぽり

飲み込まれてしまう感覚が続くときがあって。

 

一心不乱に走り始めてしまうと

振り返ったときに周りには誰もいないことに気がついて

突然に孤独と虚無感に押しつぶされそうになって

「いつまで“夢”とか語ってんだよ。現実みろよ」

って声が聞こえてくるんです。

 

マルシェの注文をしたときも

絶賛、暗闇飲み込まれ中だったけど

推しにはかっこ悪い姿を見せられねえ!

と強がったメッセージを書いたわけですが

そこはやっぱり監督のすごいところで

きっとそこも見破ってわかった上で

この言葉をかけてくれているんだろうなぁって。

 

もうね、ちょっとほんとに涙が止まらないわけで。

 

いつも応援する側だから気が付けなかったけど

「がんばれ」って言葉は

すごいパワーになるんですね。

 

この声が枯れるまで、

文章が書けなくなるまで、

好きな人には

「がんばれ」

を伝え続けたいって思いました。

 

わたしも、監督の歌に出会えてよかったよ。

 

必ずまた会いに行くから

それまで歌い続けて

わたしの居場所でいてください。

 

さ、インスタ用の記事書くぞ!!!

 

エネルギー変換の起爆剤の処方箋。

遺言その2です。

 

その前に最近、ずっと自分の肩に力が入ってるなって感じています。

デスクが合わないのか、知らぬ間にストレスを感じているのか。

 

原因がわかるようでわからない。

だから頭痛が治らない←

 

さて、今夜わたしが記すのはドクミケ兄さんです。

 

ドクミケ兄さんをはじめて観た日は

夢眠ねむさんのお誕生日だった記憶。

 

心を掴まれた瞬間っていつも

朝日が昇る映像が脳内で再生されるんですよ。

イメージ的には富士山頂上から望む御来光的な。

(御来光見たことないし富士山とか登ったこともないけど)

 

ドクミケ兄さんを初めて観たときも

そんな感じで

脳内御来光していました。

 

息を飲むというか、呼吸を忘れるというか

没頭するというか、目が離せないというか

そうなる瞬間って

送り手というか相手の

感情であったり情熱であったり夢であったり隠したい過去であったり、

とんでもなく内側に触れたときだなって。

 

それと同時に

自分たちが信じてきた道をまっすぐに突き進む姿が音楽に表れていて、

「よっしゃ負けてらんない。ワイもがんばるで!」って奮い立たせてくれるのが

当時のわたしにはドンピシャドンズバだったわけで。

 

30を前にやりたいことを手放した人を多く見ていたタイミングでもあり、その背中に励まされたことが好きになった1番の理由だと今となっては感じています。

 

体制が変わろうと、名前が変わろうと

貫くものはきっと変わらないから

これからもこれまでもずっとわたしの背中を押してエネルギー変換の起爆剤になると信じています。

 

裏切られても

「ま、いっか」ってなれる部分もあるので

どっちに転んでも好きでいられると思います。

 

2020年、会いたい人に会わないことが未来を開くと感じていたので、もう少し安心できるようになったらまた現場に復帰したいです。

 

自分を守ることが、大切な人たちを守ることができるって考えになれたのも

ドクミケの音楽出会ったからだと思いまっす。

 

さて、2021年はどんな年になるのかな。

期待しかせずに新年を迎えようと思います。

 

今年もお付き合いいただきありがとうございました。

来年もわたしなりの推し方で生きていこうと思います。

 

どうぞみなさま酔いお年を……

 

「それでいいんだ」を教えてくれたわけで。

はてさて遺言のお時間です。

 

まずは二丁目の魁カミングアウト。

 

二丁魁との出会いで人生変わったわぁ〜って思うことばかりでした。

 

生きる上で「選択」って必要不可欠だなと思っていて。

その上で「白」か「黒」の2択から

選択しないといけないのかぁと考えていました。

 

その考えを根底から覆してくれたのが二丁魁。

 

「シロとクロだけ?なんかダサくない?ピンクでもよくない?むしろレインボーがハッピーじゃん!」

とポップな感じで語りかけるのではなく

「シロにもクロにもなろうと思えばなれるけど、本当はピンクを選びたい。ピンクを選ぶ自分を自分自身で肯定していきたい。そしていつかレインボーを生み出してみたい」

と寄り添って語りかけ、一緒に一歩ずつ進んでいくような

そんな印象を抱き、大好きになりました。

 

自分のことを好きになるなんて無理だなありえないと思っていたわけで

そんな自分の考えも「ありだよ」って

背中に手を当ててそっと前に一歩踏み出す勇気をくれたというか

とりあえず勇気をくれるアイドルに出会ったのであります。

 

二丁魁に出会った頃のわたしはというと

燻っていたわけでスモーク状態でした。

 

燻されて燻されて燻って。

 

30歳になった自分に期待しつつも絶望してた。

 

右も左もわかってるのに前には進めない。

現実逃避ではないものの

仕事が終われば新宿2丁目に走った。

 

「またがんばろう」

「明日も生きてみよう」

 

そんな気持ちにさせてくれるアイドルに

わたしは出会うことができた。

 

どんな職業も

誰かの人生の一端になっているけれど

アイドルって生きる希望や目的にもなる職業なんだなって

二丁魁に触れるたびに感じていました。

 

ま、アイドルだけに関わらずってところもあるけれど

汗をかきながら音を全身で受け止めて

良い香りに包まれてチェキを撮って

その時間を噛み締めながら電車に乗るっていう

多幸感を抱いて「生きよう」って気持ちを与えてくれるって

夢しかないし、愛だなって

 

こんなわたしでも、

わたしのままで生きていていいんだ

それでいいんだ

 

そう思わせてくれたのは二丁魁と出会ったから。

 

出会わせてくれてありがとう。

たくさんの多幸感と愛をありがとう。

生きてアイドルになってくれてありがとう。

 

推しが去り、新メンバーが入り

彼らも新しい一歩を踏み出している。

わたしも負けていられない。

 

ライターとしての自信も

くれたのは二丁魁のおかげ。

今のわたしがあるのは、あなたたちのおかげ。

 

そんな想いを

今も抱いているわけです。

 

現場に行かなくても大好きな気持ちは変えられないんだぞ!

 

聴けばきっと好きになる。

生きる希望を与えてくれる。

優しさと強さは愛の証。

 

いつまでも心に寄り添ってくれる大好きな世界一のアイドルや!

 

 

https://youtu.be/Od0YP3zb_4E

 

 

好きな人をキレイな言葉で語りたい。

いろいろ起こっている2020年も気が付けば10月になっていて、

残すところわずかって雰囲気も醸し出しちゃったりいしているわけですが

みなさまいかがお過ごしでしょうか。

 

現場に行くことがなくなり、

だからと言って在宅で配信とか全部追いかけて

課金ができているわけでもなく。

「趣味」というものがゴッポリわたしの人生から姿を消しつつあります。

 

気まぐれにリプを飛ばしたり飛ばさなかったり。

 

だからと言って「好き」な気持ちが完全に消え失せたわけでもないのです。

 

現場がない。

配信も追えない課金もできない。

 

そんな状況でわたしができることって

ここでいかに「好きか」という気持ちを

書き残すことぐらいだなぁって。

(誰も待っちゃあいないけど)

 

これから少しずつ、好きな人達のことを遺言みたく

書き残していこうと思っています。

 

気まぐれに更新していきますので、ひっそりとお付き合いいただけたら幸いです。

32歳の遺言と33歳の決意。

ぽてちさんとして書くのは久しぶりになってしまいました。

 

コロナでクビになり、実家に出戻りOL生活。

意気揚々と生きてるつもりで虎視眈々と独立を考える。なーんて日々もあったりなかったり。

 

とりま、ケツさんのこととクビになったことが相当堪えておりまして精神的にちょいと床に伏せる日々が続いていました。

 

あのとき、もっと気の利いた言葉をかければよかった。

もっと寄り添った言葉を伝えればよかった。

同世代がいなくなってしまうのはやっぱ「たられば」しか出てこない。

 

ほんでもってクビになったこと。

監督に「5年ぶりにわたしも記者職に復帰したんだ!」と報告していたからなんとも情けなくて。

携わっていた業界が業界だけに真っ先にクビを切られたわけで。

それでも監督と一緒に切ったスタートを途中棄権したことに後ろめたさと情けなさがあって会わす顔ねえなってなってた。

 

そんなこんなで大事な時に何もできないヲタクに成り下がってしまったけれど、やっぱ自分が自分の足で立っていられないとヲタクできねえなって改めて理解することができたり。4月5月はいい時間を過ごすことができました。

 

ドクミケも大事な時になんもできんでマジ申し訳ございませんしかない。

 

結局わたしは自己中でヲタクじゃねえーんだなってのも痛感したりもした。

 

と、これは32歳のわたしの遺言であります。

 

33歳の抱負としては、気負わず行きたいときに行って応援するスタンスを貫きたいということです。

 

源様が「その人の中にしかない物語がとても好き」と語っておりましてハッとしました。

わたしは誰かが思い描くヲタク像に当てはまりに行っていたな…と。

 

わたしにはわたしの推し方があるわけだから、33歳はそれを貫ける強さを身につけたいなって思っています。

いつもいないけど、いるときはちゃんと盛り上げる。みたいなポジションになりたいと思っています。

 

いつだってどこにいてもどんなときも、支えられているのは事実だから。

 

見えないのはあまり意味がないけど、それでも好きで人生をかけて恩返ししたいと思っています。

 

みなさんのおかげでわたしは今日を生きることができ、明日もまた生きていたいと思えるわけです。

 

肝心なときそばにいれないかもしれないけど、いつだってあなたの味方だよん。

 

ってのが33歳の決意です。

 

こんなんですが引き続き何卒宜しくお願い申し上げます。

 

おしまい

進む足を止めてはいけない。

気がついたら4月も半分くらいまで過ぎちゃっていて

身を置く業界柄、今は確かな情報を得ることが先決で

いろんなところに問い合わせたり、

確認作業で連絡をとったりしているので

お休みがお休みじゃない雰囲気でして。

 

それでも、悲しいことも嬉しいことも

楽しいことも面白いこともイライラすることも

全部が全部生きてるから成り立つものだと

思い出すことができたので

 

より一層、丁寧に生きていきたいなぁって。

 

ほんとにな、

デマにばっか振り回されてるやつ!

賢いフリして無知がバレるのはな、

こういうときなんだよ!

クソが!

素人はすっこんでろ!

 

って家で叫びながら記事書いてるのはここだけのお話し。

 

色々落ち着いたらさ、

またみんなに会いたいし、ワイワイしたいよね。

 

日常が日常であること。

 

そして、自分だけが被害者だと思わないこと。

 

被害者ヅラして他人を傷つけていいとか

そんな法律ねーし、ネット上のみ治外法権とか

ありえねーからな。

 

無責任なこと言ってんな、クソが。

 

さ、お昼ご飯食べて続きやろ〜

 

おしまい

たまには「自分の言葉」を語りたい2020

ご無沙汰しております。

みんな大好きぽてっちゃんだよ〜(あーりんだよのテンション)

 

さてさて。

現場から離れて何ヶ月でしょうか。

聴きたい歌も

観たいパフォーマンスも

全部距離をとって

今、どうして走っているのか。

 

それはな、

5年ぶりにやりてぇ仕事に就けたからだよ!!!

今の会社に転職して4月で1年。

もうまもなく1年でーすってタイミングで

自分のやりたいことをやりたいようにやっていて

それは黙認されているのではなく

「無関心」のなかで容認されているだけ。

 

むなしい毎日。

 

なわけです。

 

みなさんが思っている以上に

充実していないし、

9%のアルコールを摂取する毎日です。

 

暗いですよ、とっても。

華やかに思っているかもしれませんが、

毎日泥水をすすり

いつ王様の機嫌が変わって

ギロチンの刑に遭うかわからない

そんな日々、走る足を止めるわけにはいかないだけ。

 

現場に行ってしまったら

この足が止まってしまいそうな気がしている。

 

だから1つ1つ目標を自分に課して

それを乗り越えたら

ご褒美を渡していくシステム。

その最終地点が「現場復帰」であって。

 

今は、今の業界に入って初めて

「この人と仕事がしたい」と思った人と

わたしの企画を直接プレゼンできるところにいる。

だから、ここで立ち止まるわけには行かない。

っていう意地があるのです。

 

20代前半、10年前とかですよね。

家に帰りたくなくて

終電まで秋葉原を歩き回ったり

彼氏に「帰りたくない」って言ったり

朝まで飲み歩いたり

そんな少しセンチメンタルな気持ちを

思い出すことが増えるまでに

追い詰められています←

 

行く場所もなく

たどり着いたのが秋葉原

アキハバラ@DEEP」は

さまよっていたころの秋葉原そのもので

懐かしくもあり、

大人にならなくちゃって思い知らされる。

 

 

やるしかないし、

始まったらもう後には戻れないし、

始まってしまえばあとは終わるだけだ。

 

見切り発車だったけれど

なんとか形にできたなら

また趣味を楽しむ時間を作りたい。

 

わたしはわたしの言葉を語る場所が欲しい。

 

求められる言葉じゃなくて、

今、語りたいわたしの言葉を。

 

おしまい