キレイな言葉が、見当たらない

殴り合うときは拳じゃなくて、言葉で

「何者」かになりたい人の主張はなるべく触れないようにしている

どうも、花粉症です

「いや、まだ本格的なシーズンじゃないよ!」と
そんな声もちらほら聞こえてきそうですが
わたしはすでに目も痒いし、鼻水も流れ始めている
つまり、花粉症が始まっているのです

ピークのときに騒ぐというよりも、
静かな始まりに対して足掻くことなく迎え撃つ
そんなタイプです

今日は「何者か」になりたい人は苦手だよ
ってところを文字化させたいと思います

ここ数年、「大人の発達障害」「ADHD」って言葉が
メディアでも目にするようになっていて

これまでは論文とかその範囲でしか目にしてなかったので
あんまり気にすることがなかったんですがね
SNSってなると
「わたし、大人の発達障害なの!あれもこれもできない!」
「はじめまして!ADHDでも頑張って生きてます」
と自認して自己紹介をされる方がたくさんいまして

わたしはこの自認がとても苦手なんですよ

「大人の発達障害」「ADHD」であることは否定しないし、
それを自認することも否定しないし、
むしろ頑張って生きててマジで俺ら偉いしマイメンだな!
ってお気持ちなんですがね

「優しくして」「できないには理由があるんだから理解して配慮しろ」
と大きな声で主張しているように見えることが苦手なんです


わたしはパニック障害
電車や歯医者さんで失神する、
発作を隠すためにマスクを着用している
生理前などホルモンバランスが崩れるときは体調を大きく崩す
といったことがおきる
もちろん、仕事に支障をきたさないようにコントロールをしているけど
それを誰かと一緒にシェアしたりはしていない

パニック障害だから」を理由にしてしまったら
言い訳になってしまうし、周りにいらぬ心配をさせてしまうことが
後ろめたくなってしまうのではないかなっていうのもあって
「わたし、パニック障害なんでこれできません」は
言わないようにしている

もちろん、転職をするときの面接とかでは
パニック障害で現在も治療をしていますが、日常生活には支障はありません」
と伝えている
伝えている以上、季節の変わり目とかにはすごく気を配っていたり
わたしは自認しているものの、隠している方が生きやすいと感じる派なんだな、と

ヘルプマークを付けていた時期もあったけど
発作が起きて優先席に座っていたときに
おじさんに頭叩かれて
「お前は見た目に障害がない。これ(ヘルプマーク)嘘だろ」
と言われたのをきっかけに付けるのをやめた

世間は思っている以上に冷たいし、理解もしてもらえない
って諦めているからこそ
隠していた方が都合が良いと思っているのかもしれない

でもって自認していることを自分以外の不特定多数に向けて
発信することで「何者か」になった側の仲間入りしたような
そんな気持ちになれるから、発信するんだろうね

「何者か」にならなくても
世の中はあなたを食ってかかろうともしないし
怖い場所でもないってのが
なかなか伝わらんくなってしまったのが悲しいのかも


まとめたいけどまとめられなくなってきたので
終わります

ご清聴、ありがとうございました