キレイな言葉が、見当たらない

殴り合うときは拳じゃなくて、言葉で

いつだってどこだって、わたしがけんぽさん(記憶を取り戻した備忘録)

前回の感想note。

瞳孔開いてんじゃない?ってレベルで

まじで何言ってるかわかんない内容で

よくないわ〜

ほんと瞳孔開いてた。

(もはや死んでる)

 

と、いうことでカルテの音源も手に入り、

記憶を取り戻したので改めて少しだけ真面目に。

 

と、あれこれまとめる前に1つだけクレームを。

 

おかわりドパカンの際に

我らの主治医が

「明日のこと一旦全部忘れましょう」と言ったわけですが、

全部忘れた結果、首の痛みだけが残りました。

 

自分で言うのもアレですがね、

わたし一応、声可愛い系なわけですよ。

にも関わらず、1トーン低いややカスカス声。

営業妨害ですよ。(それはない)

 

業務に支障でまくりでした。

会社員としてはクレームもんです。

 

ツケというものは未来の自分を苦しめるなぁと

改めて体感したわけ。

 

けれどわたしは、

未来の自分に常に期待して任せているので

得意中の得意なわけなので

今回限りは許したいと思いました。

 

さてさて、本題に。

カルテの音源を聴きつつ、

記憶を取り戻していきまして。

 

聴けば聴くほど、

リラックスして楽しんでいるというのが

伝わってまいりまして。

ピリピリと張り詰めた

緊張感のあるオペも

「やったるわ、ボケ!」的な感じも

中指推進党としましては、

超超大好きなわけですが

(中指推進党ってなに?)

肩の力が程よく抜けている

「ホーム」というのかアレというか

そういう姿って、多分

路上以来だなって思って

嬉しくて懐かしくて楽しかったわけです。

 

二丁魁では、二丁目の箱を

「俺たちのAiso」とか呼んで

「ホーム」というのを体感していて、

河野監督も、ディアステの店舗イベは

「ホーム」だわぁって楽しんで。

 

でも、ドクミケって「ホーム」っていうのを

1年通じて観てきたのですが

体感できることがほとんどなくて

今回やっと「ホーム」を感じた気分でした。

 

勝手知ったる仲という居心地の良さ。

 

「あぁ〜たのし」って主治医の声に

すべてが詰まっているなぁと。

 

もうね、そういうところが好きです。

 

ピリピリに張り詰めたパッチパチも

心地い良い緊張感だけど、

肩の力が抜けて、白衣脱いじゃう感じも

大好きなわけでございます。

 

一段上から

やり続ける背中を見せるって

ドパカンしてくれるわけで

「死ぬ気で戦う言葉通りの覚悟を知ったToday's game」

と急に真人間入門の人格が出てきちゃうわけですが

命を削ってステージを作るその覚悟を

いつも魅せてくれるから

だから

「ここぞ」ってときは

ドクミケを選んで聴いているんだよなぁって

再確認するときでもございました。

 

楽しいから大好きだし、

この時間があって良かったです。

 

どんなにつらいことがあっても

ふざけんなよ、まじクソかよって日々を過ごして

生きてるけど自分の心を殺す毎日で

だからこそ、オペの時間は生きてるなって痛感する。

(これはドクミケに限らずだけどね〜)

 

むしろ、生きてて良かったし、

明日もまた生きていたいって思える時間です。

 

立ち止まりそうな時間を抜け、

今にたどり着いてくれてありがとう。

間違ってなかったって言えるって

それはずっと応援し続けてきた

先輩ミケっ子の全員を救っていて。

1つ前に書いた

「認め」て「受け入れる」は

ドクミケそのものなんだよなって思っています。

 

だからね、月1でも通いたいわけです。

 

でも、こうしたゆるっとしたプチワンマンこそ

後ろから酒飲みながら

ミケっ子込みのパフォーマンスが観たい。

 

まじで良い酒飲める。

 

おしまい