キレイな言葉が、見当たらない

殴り合うときは拳じゃなくて、言葉で

腹が立ってる新月の夜の戯言

宇多田ヒカルさんが出ていた「SONGS」。

録画してたのをやっと観ました。

 

彼女がインタビューの中で

口にしていた言葉で

すごく印象に残ったのが

 

「どこにも属したことがない」

って答えで。

レビュー記事でも

「どこに行っても所属感のない孤独」と

表現をされていて

なんとなくだけど、わかるなぁって気持ちと

ずっと抱えていたモヤモヤが晴れたような

決心がついたような心持ちになりました。

 

高校がね、所属していないと人権ない

みたいな環境でね。

おわかりの通り、ワタクシ

グループ行動が大変苦手で

お弁当を誰と食べるのかとか

そーゆー忖度が

すごい苦手だった。

昨日までは仲良くしてたのに

突然口も聞いてもらえなくなるって状況を

何度か味わってるから

ほんとは1人で食べたいけれど

どこかのグループにいないと

色々と心配をされるのが鬱陶しかった。

3年間の記憶ってあんまないのよね。

 

とりあえず、どこかしらのグループにいるけど

馴れ合いたくなくて、距離置いて

本音は絶対に言わなかった。

悩んだりしたことは、

同じ中学のときの地元の友達に話してた。

 

1対1でケンカができないのが嫌だったし

誰かがいないと発言できない人たちが

とにかく嫌いだった。

それは今も変わらないとこですね。

 

今、グループに所属したいのか?と聞かれたら

 

ハッキリ「いいえ」と答えます。

 

どこかに所属していなければ

人権がないみたいな場所は息が詰まる。

所属することで、

近くに味方がいるっていう安心を

得ることはできるんだろうけど

自分の意見を失うリスクが高まる。

むしろ、本当に味方なのか

疑い出したら人間不審になる。

言いたいことも言えないし

なにかに同調する風潮に流される。

人格を失ってまで、

その安心感は求める価値があるの?

人格を失うくらいなら、人権なんていらない。

 

だからそうなる環境をずっと避けて

生きてきたんですよ。

学生時代を駆け抜け、社会に出てからは

ほんと楽しかった。

 

社会に出てから出会う人たちはみんな自由で

所属しているようでしていない。

孤独すら楽しさに変える人ばかりで

もちろん、所属にこだわり行動する人も

いたりするけど、

会う回数はものすごく少ないから

学生時代のような息苦しさを感じずに

接することができていて。

10年前まで当たり前に悩んでいた

人間関係が楽しくて好きなものに変わっていきました。

逆に所属しないことに

安心するようになったり。

 

筋が通ってるって言葉をいただくことが多く、

これについては

どこにも所属しないで生きていくうちに

身についたおまけみたいなもん。

強いわけでもなく、

むしろ、弱い。

誰かに依存する勇気と度胸が

わたしにはないから。

 

好きな人を抱きしめる時に

相手に体重をかけるのが苦手です。

物理的にも精神的にも

誰かに自分の重さを預けるなんて

きっと一生できないと思ってる。

 

グループに所属をして安心している人たちは

誰かに甘えることが潜在的にできる人たち。

 

いや、そんな綺麗な言い回しはやめよう。

 

共依存ができる人たち

 

なんだと思う。

 

依存はするのもされるの嫌。

依存って他人の存在で

自分の存在を確かめることだと思うし、

承認欲求をお互いにお互いで求めてて

素直に気持ちが悪い。

 

依存体質の人はとことん避けてる。

最初仲良くしてたとしても

依存体質だなって察した瞬間に離れます。

地雷踏む前にサヨナラです。

 

前にも書いたことがあるけど

他人に消耗されるために、

わたしは存在してるわけじゃないってこと。

 

重さを預けられないのは

信頼していないわけじゃない。

信頼してるから、自分の重さは

自分だけで受け止めたい。

大切な人の時間を奪いたくない。

 

自立しているようで

所属感を強め、“チーム”と言い始めた瞬間から

依存は始まっていると思うのです。

 

だから仕事以外ではチームにならない。

 

お前だって主現場に所属してんだろ?

と言われてしまいそうですが、

主現場の皆様は本当に大人だから

互いにファミリーネームを名乗るけど

依存することなく

それぞれのものさしで行動していて

だから弱音も愚痴も吐ける。

それぞれの正しさがあって

馴れ合いとはまた違う。

程よい距離感。

それは「所属」と呼ぶのには

あまりに野暮で

希薄な気がしているのです。

それぞれ好きなものがあって

その中の1つが共通で

色んな角度から話しができる。

真面目な話し、推しが可愛すぎる話し、

どうでもいい話し、クソリプまでね。

それってコミュニティが1つじゃないから

できることなんですよ。

視野が広いってやつ。

だからわたしの主現場は

一部を除いてすごくフラットな場所。

推しの前では全員平等。

本音と建前は使いこなしつつ

お互いのパーソナルスペースは保つ。

わたしには、ちょうどいい場所。

 

所属感が高いと感じたら

その場所から消えます。

 

トラウマ乗り越えようとか

これについては微塵も思わない。

 

どうぞ、お構いなく。

わたしの価値観を押し付ける気はないから

あなたはあなたの世界で生きてください。

 

勝手に入ってきてヒロイン面なんかした日には

一生かけて後悔させてやるからな。

 

おしまい